わたしの生活独語記

日常で感じたことをつらつらと書いています

今を届ける言葉たち

私と長い年月付き合いがある友人や大切な人。

会うたびに元気をくれたり、安らげる時間をくれる人たち。

出勤時間や休みの日に楽しい気分にさせてくれるエンタメたち。

そして嫁さん。

 

本当に感謝している。私が生きるための大きな糧になっている。

 

だから生きている内にお礼を言いたい。言葉にして伝えたいからいつも別れ際

「体に気を付けて」「ありがとう、またね」「怪我だけ無いようにね」

と意識せずとも言っていることに最近気づいた。

 

本当に何があるかわからない。

悲劇は私たちの予想だにし得ないタイミングでやってくる。

だから力になってくれている人に「ありがとう」って思ったうちに言っておきたい。

 

ずっと思っていることだけど、ここ最近特に強く思うようになった。

 

なんでそんなこと言ってくるのか

なぜそんな風に傷つけてくるのか

甚だ疑問に思うような人間が幾らかいて、悲しくなる。

その反動もあって私を支えてくれている人に感謝する。

 

感謝に限っては、今を届けた方が良いかなと私は思う。

そうやって小さなしあわせを拾い上げて今日も生きていく。

 

Guardians of the Galaxy Vol. 3

Guardians of the Galaxy Vol3

 

GotGの最新作、そして集大成になった3を見てきました。

 

序盤に腑抜けクイルとガーディアンズメンバーの元に嵐のような災厄(アダム)がやってきて、瀕死状態になったロケットを救う中で結果的にロケットのルーツをたどることになります。その状況に直面したメンバー一人一人にも変化があって・・・。という内容でしたね。

 

今回でジェームスガンとゾーイ(ガモーラ)とデイヴ(ドラックス)がMarvelを去るということでGotGもここで一旦幕という形になりました。

 

 

劇中何度もポロポロと涙がこぼれるシーンがあり、とても良かったです。

かと思いきや「動物実験許すまじ!!」みたいな感じでMessage性の塊みたいなのでぶん殴られたかと思えばいつものガーディアンズのくだらないやりとりで笑ったり色々とてんこ盛りでしたね。

 

あと見てて感じたのが、序盤に災厄のように襲ってくるアダムや後半船から船へ動物を移すシーンやハイエボリューショナリーが自分の作ったのがどいつもこいつもダメで一度全員殺すシーンとか凄くキリスト教哲学を感じました。ハイエボリューショナリーの作ったソヴリン人の男(ウィルポールター)の名前がアダムというのもまた何とも...

ノアの箱舟やら創世記感満載でしたね。

 

 

これは多分他の方も色々書かれてると思うのですが「2001年宇宙の旅」オマージュがちょいちょいありましたねw宇宙服やら、重力関係無く歩くシーンやら。見てて楽しかったです。

 

 

私はやっぱりマンティスが好きです。彼女の優しさやつよさを秘めた言葉に何度も泣きました。ひいてはジェームスガンという方が優しいっつーことですな。なので新しいスーパーマンも凄く楽しみです。愛のあるヒーローはみんな好きだと思いますがそうなってくれると信じて封切りされたら期待を胸に見に行きます。

 

クイルは家族を許しておじに会いに行きましたね。私はいつか母親のこと許せるかなあ。人は変われると思っていても私はまだ許せそうにないなあ。会わなくなって4年ほど経つけどまだまだ私は無理だな、もう少し時間が必用です。まあクイルも40になってから会いに行ったし私もあと10年くらいは別にいいや。

 

町山さんがTwitterで書いてたのですが、ジェームズガンの過去ツイート(例の騒ぎで消しちゃった)で

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーは僕にとって何よりも、子供の頃虐待を受けた大人が自分を癒して再出発するために、同じように虐待を受けた仲間と関係を築いていく話なんです」

と書いていたそうです。

 

いやはや泣けますね。

 

個人的には2が1番泣けました。

自分に家族と思える人がいなくて、やっとそう思えた人を失うのが何よりもつらいことが分かるからかなぁ・・・。

 

まあ何にしても良い映画でした。。。

 

今後どんな形でクイルが再登場するのかも楽しみですね。

TAR/ター


TARを見てきた、レイトショーで。

 

ケイトブランシェット魂の演技だった。すごいに尽きる。

あまりにも凄いからターが実際に名前も同じモデルになる人がいるんだと勝手に思い込んでいた。

 

 

序盤にエンドクレジットが流れ始めて、なんぞやと思っていたがその後のシーンも映画の後半に関わる内容で構造的に前後がひっくり返っていた。二回見ていろいろすんなり入ってくる映画なのかなと思う。見ていて思ったのですが砂の器を思い出しました。ターという人を見ている私たちが探っていくような映画。そう私たちは丹波哲郎だ!

 

Story的には、世界的な女性指揮者のターが天才であるが故なのか恣意的なことばかりしていてある日、元恋人の指揮者を自分が原因で自殺に追い込んでしまったことを知る。そして彼女は告発されてしまって...。みたいな話でした。

 

ターの映画内での言動で指揮者や哲学者を批評したり学生を指導するシーンでそこでのセリフの内容がすべてブーメラン的に自分に降りかかってくるというなんとも因果応報ムービー。

付き合ってた指揮者(女)を自殺に追い込んだ罪悪感からかどんどん自分を追い込んだり、どこかで女性の悲鳴が聞こえたり、夜中にどこからか聞こえる音が気になって眠れなくなったりとどんどんどんどん彼女が壊れていきます。

 

映画後半で、住んでいるマンションのお隣さんが引っ越すとなってターに挨拶に来るシーン。お隣さんがターにピアノをいつ弾いてるのかと尋ねます。なぜそんなこと聞くのかとターが言うと、部屋を売るときに騒音で高く売れないからと言われて彼女は高らかに笑います。自分のしている崇高な音楽、その作曲が騒音だと言われて彼女はぶっ壊れます。アコーディオンを弾きながら「安売りセール♪」みたいな訳の分からない歌詞を叫ぶケイトのぶっ壊れ具合があまりにもおもしろくて吹き出しましたw

 

 

そして終盤、告発されて持っていた全ての仕事がキャンセルになり彼女はふるさとに帰ります。彼女は実家にあった昔録画していたバーンスタインのコンサートを見て初心にに立ち返りその後東南アジアのどこかで小さなオケを持ちます。そのオケがする楽曲はモンスターハンター。自分というモンスターを狩りたかったのか何なのか。よく分からん。

 

まあでも良い作品なのは間違い無いです。160分があっというまでした。

 

 

 

 

 

 

 

すずめの戸締まり(ネタバレあり)

12/3土曜日の昼過ぎに三宮で「すずめの戸締まり」を見てきた。

結論としてとても良かった。

 

だが、テーマが震災なだけに賛否は分かれるのかなと感じた。

ただそんなことは作り手が1番理解していると思うし、それでも悲しみに浸かっている人の背中を押してあげたいといういじらしさや優しさを感じて私はとてもよかったと思う。

 

以下は私の偏見と妄想とネタバレがぐいぐい入ってくるのでご了承願いたい。

 

映画の中で出てくるすずめは被災した方々を初め、映画を見ている私たちでありそれと一緒に旅をする足の欠けた椅子(ムナカタ)は彼女、ひいては私たちが今まで誰かから何かから受けてきた愛の象徴であって、それに気づくまでの彼女の物語であると感じた。

 

また作中出てくる猫の姿をした要石のダイジンという名前から「天気の子」から続く新海さんから左のイデオロギーをビシビシと感じた。

2つめの扉以降、ダイジンがその土地に関わっているこの世の裏側の巨大な掘り起こしていき、閉じ師のムナカタとすずめがそれを戸締まりさせて問題を収束させていくのは天気の子と同様に大人(ダイジン)が引き起こした問題を若い人が必死になって問題解決に汗水流すもしくは犠牲を払うという構造であり、見ていてやはり悲しくなった。

昔はそれこそは要石のような役割であったのではないかと。

でも結局最後の決戦的なシーンではダイジンのクソネコも協力して動いてたので偉い大人も責任取って若い人らに協力せえよということなんかなと思いながら見ていた。

 

絵は毎度の如く美しく、吸い込まれるカットの連続でこれは本当にいつ見てもすばらしい。また、映画冒頭のタイトルバックは皆息を呑むほど魅せられたと思うし一瞬で私たちの心を掴んだと思う。正直アレと絵を見るだけでも1,900円出す価値は十二分にある。

 

ただ最初に言ったとおり震災がテーマで、後から考えたらそりゃ都合が良くないかと思うシーンは正直あったし被災した方達からしたら「そんなすんなりいかねえよ」と不快に感じる演出もあったのかもしれない。それでも私は新海さんのやさしくてつよいメッセージが好きで多少のパワープレイは些末なものだと感じました。

私は素直に感謝したいです。

 

 

 

【ネタバレ】ありがとう、スパイダーマン

※めちゃくちゃネタバレしてます

 

スパイダーマンNo Way Home

公開日の1月7日に見ることができました。

 

 

 

 

本当に感謝、感謝しかない。

ヴィラン達5人、そして歴代スパイディが全員そのままのキャストで出演してくれたという奇跡に感謝。

 

何から書き始めれば良いのかすら分からないほど特筆すべきことが多過ぎて困る。

 

とは言っても1番のヌキどころはアンドリューガーフィールドとトビーマグワイアの歴代ピーターパーカーそろい踏みですよね。

 

シアター内でも声が上がっていました。

アンドリューが出てきて、私も普通に「えっ」と声が漏れ絶句しているところにトビーも出てきてしまって頭を抱えました。

 

歴代3人が一つのスクリーンに収まっているだけで私は涙腺がバカになりうるうるしておりました。

 

決戦中にアンドリューが2人のスパイダーマンに「愛してる」って声をかけたときは心の中で大声で「いや、私も!!!!」と叫びました。そして慟哭。

 

ほんとに涙でかすんでスクリーンよく見えて無かったです。

こんなことあるんやねほんまに。

 

あ、あとオットーとトビーが再会した時ももうダメでした。書いている今でも胸に迫る。トビーの台詞の「努力してます」はダメです。いじらしい彼の人柄が溢れていてわんわん泣きました。

 

というか私はいつ泣いてないねん。

 

あ、そしてウィレムデフォーという俳優は本当に素晴らしいですね。敬服します。

彼がトムホ版ピーターパーカーのイノセンスを失うトリガーに本当に相応しかったです。

 

ヴィランを通して、スーパーパワーを持っているからスーパーヒーローなのでは無いという事を彼自身が理解するシーンは他のナンバリング作品にも通じる良いシーンでした。。。。

 

自分の存在と引き換えに世界を救うという、スタークと同じ道を歩んだエンドも最高でした。切なくもつよく、かっこよかったです。

 

結局No Way Homeになってしまったのはピーターだけだったんですね。

 

 

 

20年にわたる作品に出てきた救われない人々を救い、その人たちの思いを受け止めた本当に素晴らしい作品でした。

 

 

 

こんな凄い作品を作ってくれて、本当にありがとう。

 

 

 

文字におこすということ

自分自身

不安な気持ちになると、思ってたり考えたりしている事を文章化する癖がある

 

前は紙一枚にびっしり、写経かとおもうほどペンで書いていた

今ではパソコンにバシバシと打ち込んでいる

 

精神的な話だから機械的にPCへバシバシ打ち込むより紙に書いたほうが効果あるのかもと思ったけどこちらの方が楽だからら今はPC

 

というより、書いている時より書いたあとの文字達を見ることで落ち着く方が強い事に

最近気づいた

 

書いている時はそこにしか集中しないから不安な事を忘れられる

今自分はこんな事で不安だったのか。ならどうしようか。

 

と見ることで考えが整理される。

 

 

働いて1年目の終わりから2年目にかけて生きているのがしんどい感情が首をもたげた

そのまま精神安定剤を服用しながら働いていた。

ストレスで体重が1年で10キロ以上増えた

 

 

今考えたら異常だという事に気づかなかった

 

 

 

 

 

自分がしんどいときに素知らぬ人の不幸の記事とかを読んだりしてごまかしていた

でも私の感情は他人の不幸で矮小化されることはなく、意味がない

 

私の方が辛い、いやあの人の方が大変か

という本当に意味のない考えが頭を巡った

 

とかなんとか整理されない言葉を頭の中で感じたまま

当時の私はWordにバシバシ打ち込んでいた

 

それを読み返すと確かに私が打った文字たちだけど

他人が言った言葉のように感じられ、ツッコミを入れながら読んでいた

 

そうすると不幸合戦の先には死しか待っておらず、それを生きるためのエネルギーに変えようとしていることが無意味なことだと感じていった

 

こんなこと普通の精神状態で考えていれたら、あまりに些末なことなので気にも留めないことだけどまいってるときにはそれができないもんで難しいですね

 

 

今でこそあまりしなくなった感情を文字におこすこと

 

最近、モヤモヤしていなくても書き出してみようかとWordを開きました。

 

キーボードに手を当ては止め、手を当ては止め

結局、書けませんでした。

 

 

そこには真っ白な画面がPCに映っていました。

 

 

 

意外とすっきりしていて、良いですね

 

 

 

連続する日々の中で

年の瀬になり、忙しくすぎる時間の中で

ふと、この生活をこのまま続けていいのかと思う

 

結婚して1年が経った

信じられないスピードだ

今年はコロナの影響もあり、もの凄く早く感じる

 

最近一週間という単位がとてつもなく早い

たしかに連続している日々のはずなのに

一週間がまるで長い1日かのように

仕事が終わり、家に帰り、ものの数時間で

また職場へと向かう

 

働き始めて私はこの数年で

大切な何かを失ってしまったのではないか

 

もう4年になる

この4年で私自身、様々な事が変わった

 

だけどその4年のなかで何が残っただろう

尊いものはそこにあるのか

 

これまでに増えたものは責任と疲労と体重ぐらいか

 

 

情報の量とスピードはさらに増し

正解がいくつもある今のくらしのなかで

空の色を私は胸を張って言えるだろうか

海の色を私は胸を張って言えるだろうか

 

どんどん境界線が無くなっている

 

このスピードについて行けない

流されてしまいそうだ

 

なにに、すがれば良い

 

答えが欲しい

 

 

でもそれは私は経験する生活のなかで

出さなければいけないのだろう

 

憂いを書き連ねているが

それでも生活はつづく

 

 

 

生きるとは本当にたいへんなことだ