自分無くし
自分無くし
それが大切なんだそうだ。
通勤の中、電車で読んだ
「そして生活はつづく」
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- そして生活はつづく (文春文庫)
- 文藝春秋
- 2013-01-04
- 本
にそうあった。
いいパフォーマンスが発揮されるときは自分が無くなってそこになじむ時がある。
それはわかる。
自分はマジックというエンターテイメントを続けてきたからそれはわかる。
いい意味で飲まれるのだ。
そして溶け込む。
居心地がよいというと語弊があるかもしれない。
似てるようで違うけども、そんな感じだ。
そんな時は何をしてもよい方向へ進む。
それは自分中心の考えが極力捨て去られ、相手中心の考え方に無意識にシフトするからだ。
私は圧倒的前者。笑
自意識過剰の典型例だから緊張状態に放り出されるとすぐ自分中心になってしまう。
勝手に。
だから自分の場合は、うまくいく時は少なからずリラックスしているのだろう。
脱力ではなくリラックス
力がふさわしい程度に抜かれていて、強ばらず適度な受容性を含んでいる状態である。
これはなかなかに難しい。
リラックスは意識してできる部分とそうでない部分があるためだ。
集中するときなどは意識を向ける先が明確にあるから簡単にできるかもしれないが、リラックスとは意識と逆方向にあるため
「意識してリラックスする」
はなんというか言葉的に違和感。
困ったもんだ。
鈍感でもありたい。最近、切にそう思う。
なんでもかんでも勝手に勘ぐって敵を作り上げてしまう
このアンテナを壊してやりたい
まあが壊すまでいかなくても、時と経験が調整してくれるはずだろう。